ほろ苦いのバレンタインデー

 

中高生の頃、バレンタインデーといったら一大イベント。好きな人に贈ることはなかったけれど、毎年友チョコ作りに勤しんでいた。

 

せっかく作るのだから美味しいものがいいし、ラッピングも可愛いものが良い。スーパーと100均を巡り、トリュフや生チョコ等々作った覚えがある。今思えばよくやっていたなと思う。

 

そんな中学生の時に、生キャラメルを作ったことがあった。

 

生キャラメルを作るには材料を鍋の中に入れて煮詰めていかないといけないのだが、焦げつかないようにゆっくり混ぜながら煮詰めることがポイントだ。

 

その時は、家に木ベラがなかったので、100均でゴムベラを買った。そのゴムベラを使って混ぜることにした。

 

材料を入れて鍋を火にかけ、温まってきた頃合いを見計らって混ぜる。手が怠くなりそうだったがひたすらに混ぜた。

 

途中で、鍋の底が深くなったような感覚がしたが、特に疑問には思わず混ぜ続けた。

 

しばらく煮詰めていると、鍋に何か白いものが浮いていることに気づいた。チョコレートが分離しているのか?と思い、ゴムベラを鍋から引き上げると、ゴムベラの先が溶けてなくなっていた。

 

えっっっっ、、、、、

 

 

 

できたのはゴムベラ入りの生キャラメル。

 

とても食べられない。泣く泣く捨てた。もう100均のゴムベラで生キャラメルは作らない。

 

そんな中学生のバレンタインはよく覚えている。

 

因みに今年のバレンタインは誰にも作らないしあげずに終わりそうである。

 

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今週のお題「わたしとバレンタインデー」

休日の過ごし方

 

最近ミッフィーのスリッパを買った。それがきっかけで、この歳になってミッフィーにはまってしまった。小さい頃からずっとキャラクター物はあまり好きではなかったけれど。可愛いです。

 

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それにしても部屋が汚い。(写真はマシ中のまし)

 

私は雑誌とかに載っているような丁寧な暮らしに憧れ、夢見てはいるが、面倒くさがりなのでなかなか実現できない。まず、こまめに掃除とか片付けができない。服は脱ぎっぱなしで物は出しっ放しにしてしまう。そして休みの日とか人が来る日に一気に片付ける。そんな日々が続いている。

 

 

今日は仕事が休みなので、部屋の片付けや掃除をしていく1日にしようと思っている。

 

なんて考えつつ、断捨離をしようと物を引っ張り出すのでまた散らかる。その繰り返しである。今日こそは今日こそは片付ける!と思いながら、全然集中できない。そんな駄目な自分を認めつつ頑張りたいと思う。何より今日は休日なのだから、休むことが最優先だ。

 

そういえば、昔からなんとなく休日に何か実りのあることをしなければ!という考えに囚われている気がする。

休日は貴重な日の為、だらだらして終わってしまったら何か勿体無いような、いつもはできないことも時間があるからできるのに、できなかった、というようなそんな後悔があるのだ。

 

しかし本来ならば、休日は休む日なのだから自分の好きなように過ごして良いし、何かしなければ!という思いに囚われなくてもいいのだ。

それは分かっているのだけれども、なかなかそうやって開放的な気分になって休むことは難しい。

 

 

私が真面目な性格だからだろうか、それとも休みが少ないからだろうか。

 

 

 

現代美術。国立国際美術館にて。

 

自分が興味のない分野には思わぬ新しい発見があるかもしれない。

 

先日、大阪の中之島にある国立国際美術館で行われている展覧会「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」「コレクション 2 : 80年代の時代精神ツァイトガイストから」をみに行ってきた。

 

正直なところ、全く興味がなかったのだが知人に誘われたので、良い機会だと思いみに行くことにした。

 

これらの展覧会は、そのタイトルの通り1980年代の作家による作品を展示してあるものである。

そもそも現代美術とは何かというと

20世紀美術をさす場合もあるが,一般には第2次世界大戦後の美術。

現代美術(げんだいびじゅつ)とは - コトバンク

らしい。

 

現代美術と現代アートは同じ意味らしいが、どちらかといえば現代アートの方が親しみがあるというか耳馴染みがある気がする。

 

私はこの現代美術、現代アートというものがさっぱり分からない。

 

小学生が創作したような奇妙なオブジェをみたときは困惑してしまうし、はたまた一面に色を塗っただけのような絵を見ると、これがどうして評価されるのか不思議に思ってしまう。

現代アートに関しては、多分多くの人が同じようなことを思っているのだろう。現代アートで検索をかけると、鑑賞の仕方や楽しみ方がずらずらと出てくる。

 

ちなみに私が好きなのは風景画だ。風景画は、パッとみたときに美しいとか色合いが好きだとか判断がしやすい。要するに私はある意味、分かりやすい絵が好きなのだろう。アホなのかしら。

 

 

それはさておき、展示されているということは誰かに評価され、選ばれた作品なのだ。一体どこを評価されて展示されているのだろう。

 

そんな疑問を抱えつつ、分からない分からないなあと頭を混乱させながらみていったのだが、展示場にちょこちょこある解説文や紹介文の中に、ヒントを見つけた。

 

肝心なところを忘れたのだが、「意味を求めずに絵をみることは難しい」といった旨の記載だった。

 

それを読んだ時に、ちょっとだけ腑に落ちた気がした。

 

この分からない分からないと思いながら作品をみている自分はひょっとすると、とても難解な事案にチャレンジしているのではないか?とふと思ったのだ。

 

私はずっとみる作品に対して、何らかの意味を求めようとしてみていた。しかし、その意味を求める必要は必ずしも無いのでは?何も求めず、ありのままに需要することは難しいがそれでも良いのでは?そしてそれが出来ることは凄いことなのでは?

 

そう考えた時、分からないなりにもみている自分を認めることができた。私はとても難しいことをやっていたのだ。アホではなかったのかもと。

 

考えるに作品は作者が自分の内面から生み出したもの。私は、人はそれぞれ自分の中に宇宙があると思っている。

そして私は、これらの作品を通してその人の宇宙をみているのだ。なんてロマンがあるのだろう。

 

宇宙が理解できないのは当然だ。唯一無二で広く大きく深いのだから。

そんなことを思いながら、満足した私は帰路に着いたのだった。

 

 

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気楽に生きよう

振り返るとブログを書き始めたのは中学生からだ。そして、このブログのタイトル有刺鉄線は中学生の時に開設していたブログのタイトルと同じだ。

 

当時どうしてこのタイトルにしたのか明確には覚えていないが、おそらく自分の心には触れられない棘があるだのそんな中二病的な理由でこのタイトルを選んだのだろう。

 

さて中学生の頃の私は、ひたすら可愛い購入品や部屋や洋服、手作り小物の紹介をし、いちごやリボン、ギンガムチェックピンクにまみれた可愛いブログを運営しているブロガーにとても憧れていた。

 

そこで自室のカーテンをピンクにしたり、テディベアやらマニュキアや細々した可愛い小物を飾ったりして写真を撮ってブログにアップして満足していた。おそらく当時は承認欲求が強かったのだろう。可愛い部屋ですね!とかセンス良いですね!とかいうコメントが欲しかったのだ。

 

その頃はブログデザインも凝り、記事のカテゴリー分けもきちんと行い、アクセス数を伸ばすため検索エンジンに引っかかるよう工夫を凝らしたり、とそれなりに努力していた。

 

対して、今はどうだろう。他人から見て自分のブログがどんなデザインか分からないし、書く記事はバラバラでまとまりがない。

 

でも自分が思いつくことを自由に書けるので気楽で気に入っている。

 

そしてやっぱり文章を書くのは好きだなと思う。そしてそんな拙い文章を有難いことにみてくれる人がいるのでそれも喜びだ。

 

月並みだが、ブログはやはり続けることが大事だと思う。最初の頃は毎日書こうと頑張っていたが、やはり私は面倒くさがりなので毎日は無理だ。しかし書きたいことはあるので書きたいときに書くことにしている。長年ブログを開設しては辞めを繰り返してきたが、更新しなければ!と意気込むのではなく、肩の力を抜いて誰に見られているとか気にせず気ままに書くことが1番自分に合っているような気がしている。そう考えると誰でも自分に合ったブログの望み方?があるのではないだろうか。

 

今日もこの記事を書きつつも頭がぼーっとしていて働いていないので誤字脱字や言い回しの間違いがある気がしてならないが、読み返して探せるくらいの冴えがないので読み返さず投稿してしまうだろう。気楽に生きたい。

 

 

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今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉

 

 

抱負はシンプルに

2016年から新年の抱負をスマホにメモする事にしている。今年掲げた目標やらやりたい事を振り返ろうと久しぶりにそれを見た。

 

するとなんという事であろうか、2018年に掲げた目標とやらは殆ど達成できていなかった!驚きである。中にはこんな目標をたてたか?と疑問に思うものまであり、至極反省した。

 

2019年の抱負はシンプルに「将来の事を真剣に考える」でいこうと思う。勿論細々とした目標はあるのだが。

 

2018年は大学を卒業して新社会人となった年でもあり、引っ越しして新しい環境に慣れることに精一杯だった。今でも慣れたかと言われたら1割くらい不安が残るが、一応現状の生活には慣れた。

 

そこで自分の将来についてもっと真剣に考えなければと思っている次第だ。

 

今の生活にも職場にも環境にも全く満足しておらず、常にこのままでいいのかと自問自答を抱えている。このままではいけないとなんとなく罪悪感のような感情が渦巻いているのだ。これを何とかしなければ、私はずっとこのままでいいのかというストレスを抱えながら生きていかないといけないようなそんな気がする。

 

でもどうしたらいいのか分からないのが現状だ。とりあえず無我夢中、がむしゃらに何か模索してみようかと思っている。

 

あとは本格的に婚活始めようかしら。。

 

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今週のお題「2019年の抱負」

堂々巡り

父が私の一人暮らしの部屋を訪ねて来た。入会金20万円の結婚相談所に登録しろと言われた。そこで次男三男を探すとのこと。

結婚相手を探す為にそんな大金をかけるなど恐ろしい。それほど本気で探したいわけでもないのに。私は嫌だと言ったが、父の耳には入らなかった。

 

てっきりもっと結婚についてガミガミ言われるのかと思ったが、父の目的は観光がメインらしく、1泊するといそいそと身仕度を整え出て行った。

 

父が帰った後、母に電話するとケロリとしていた。数日間あれだけ怒っていたのが嘘のようだ。

「自分が思っていたより、貴女は子供だった。結婚させようと焦りすぎた。気長に待つことにする。」

とのことであった。

 

母はいつもそうだ。調子が良くなると声色も変わり、まるで別人のようになる。そんな母に私はいつも巻き込まれ振り回される。母の調子が悪くなり、ターゲットが私になると、ひたすらLINEや手紙で攻撃してくる。本人は攻撃しているつもりはないのだろうが、私にとっては攻撃だ。この10日程は本当にしんどかった。

 

母の機嫌は治ったものの、根本的な問題は解決していないため憂鬱である。母が私の結婚に焦っている為、私自身も焦ってしまう。とりあえず、これ以上LINEや手紙やブログで攻撃を受けることはなくなった為、少し平穏になるだろう。

 

彼氏はここ暫く会っていない為、内心は分からないが、LINE上では相変わらずのほほんとしており、それには腹が立つ。単純なのにも腹が立つし。

 

親にも彼氏にも頼れなくなると途端に孤独感が一気に増す。楽しい時だけ共有できる人物など私にとっては意味がないのだ。

 

話は変わるが、この前カレーに合わせてナンを作った。

いつもはヨーグルトを使う簡単なやり方で作るのだが、今回はちゃんとイーストを買い、発酵させて作った。私はほんのり甘いナンに辛いカレーをつけて食べるのが好きなので、味付けは甘めにした。ふかふかで美味しかった。

 

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芸人のみやぞんが、自分の機嫌は自分でとるみたいなことを言っていたように思う。私も人に頼らず自分で自分の機嫌をとることにして、Amazonサイバーマンデー にかこつけてKindleを買った。後は気になっていた服も買った。買い物以外でも機嫌をとる方法を見つけたいものだ。

買い物と食べることはどうしても手軽に心を満たせるためついつい買いすぎ食べすぎをひきおこす。

 

明日はお鍋でも作ってたくさん食べたい。なんてまとまりのない文章だろうか。

 

両親と彼氏との関係

すっかり疲れてしまった。

今日仕事は13時出勤である為こうしてコタツに入りながらブログを書いている。

 

最近色々なことがあって、頭が混乱しているためそれを文字に起こして考えをまとめてみようという試みである。

しかし詳細を書いていると長々となってしまうので端折って書く。

 

私には3年程交際している彼氏がいるのだが、両親は交際に反対している。

その理由として彼氏が一人っ子だからというのと正社員ではないからという2点を挙げている。

 

一人っ子だからというのは、うちの両親特に父親だが私に家の跡を取ってほしい(私は一人っ子である)という希望があるからである。故に父親は婿養子に来てくれる次男か三男と私が結婚することを希望している。

 

正社員でないというのは現在彼氏は契約社員として働いており、安定していないからだ。この点は親としてなら反対する要因になるであろう。

 

父親はこの2点のため交際は断固反対だが、母親は一人っ子であるということに関してはそれほど問題に思っていないようで、就職さえしてくれたら結婚できるのにと言っている。

 

しかしこの母親が曲者で、精神疾患持ちであるため調子が良い時は関係を応援してくれるのだが、悪くなると途端に批判し、叱責するようになる。

 

今回もその母の叱責から事が始まったのだが、その母が自分のブログに彼氏の実名を(丁寧にふりがな付きであった)公開し、名指しで批判する記事を書いたのである。

 

そしてご丁寧にその記事を印刷したものをこれを彼氏に読ませろという手紙と共に私に送りつけてきたのである。

 

私は頭を抱えてしまった。どうしようと思った。まず彼氏にそれを見せるかどうか、というか実名がインターネット上に公開されてしまったことを告げるか迷った。

 

私と彼氏はインターネット世代であり、一度ネット上に公開されたものが例え削除したとしても完全には消えないことを知っている。

 

それを言うことによって彼氏と両親の溝がより一層深まり、もう埋まらないものになるのではないか。

 

しかしもう公開されてしまった以上、その事実は消えないため私は彼氏にその記事を見せた。

 

彼氏は思ったよりもダメージを受けていなかったがやはり私の両親とはもう会いたくないと言われた。自分の両親も合わせないと。毒親だとも言われた。

 

私は悲しかったし、腹も立った。

 

後日そもそもは自分が就職しないからこういう結果になったのだとLINEで非難した。それ以降彼氏とは連絡を取っていない。

 

両親の方も鎮火していない。明日父親が話に私の家へ来る。

 

母親とは調子が悪い時に話をしてしまうと私も釣られてヒステリーを起こしてしまうため話せていない。

 

そんなこんなでどうしようとなっている最中である。こんな時とても孤独感に襲われる。一応とてもとても簡単に一連の流れを書いてみたがすっきりはしないものだ。

 

もうすぐ仕事であるし切り上げてお風呂に入ろうと思う。