夢1つ叶えました
8年程前だろうか、一人暮らし始めたての頃に料理上手を気取りたくてチュニジアの料理であるブリックという揚げ春巻きのようなものを作ろうとしたことがあった。
もちろんブリックなんぞ食べたこともなく、チュニジアに縁もないので、今思えばどこからそんな料理を探し出してきたのか謎である。
それはともかく、インターネットで調べたレシピ通りに、春巻きの皮に卵だの玉ねぎだのツナだのを詰めて、揚げることにした。一人暮らし故に揚げ物用の鍋など当然ないので深めのフライパンに油を多めにひいて揚げ焼きをする。
が、しかし水分量が多かったのか春巻きの皮が破れて具材がはみ出たのか分からないが、突然大きな音を立ててフライパンの中でそれは暴発し、あわや火傷で病院行きになるところだった。
床やら壁やらに飛び散った油とブリックの残骸を拭き取りながら、一人暮らしにとって揚げ物は鬼門だと悟った。後片付けが面倒というのもあるが、危険を伴う。万一このように爆発を起こすと床や壁が大惨事。
こうして初めての一人暮らしでの揚げ物作りは苦い思い出となった。
そんなこんなでずっと揚げ物を作ることは避けてきていたのだが、もともと揚げ物が好きで揚げたてを家で食べたいと思っていたため、家で揚げ物を作るという憧れは捨てられなかった。
そんな中、注目したのが電気フライヤーだ。
大学を卒業し、就職のため引っ越しした際にこれを機に何か新しい物を買おうと思った。そこでずっと気になっていた電気フライヤーを買った。
そこで私は長年の夢であったことを実行にうつした。
鶏の唐揚げが昔から大好きで、一人暮らしを始めたら好きなだけ唐揚げを作って好きなだけ食べるのが夢だったのだ。
鶏モモ肉を1キロ程スーパーで購入し、市販の唐揚げ粉とユーチューブで調べた1番美味しそうな作り方の動画を見て作った。
電気フライヤーは革命的だった。あんなに苦手意識があり、面倒に思っていた揚げ物が簡単にできる。ちょっと感動ものだ。自分はひょっとして料理上手なのでは?と錯覚を起こしそうになるほど面白いくらいに綺麗に揚がる。できるできる!唐揚げが揚がる!
夢は叶った。いつでも叶えられるようになった。電気フライヤーに感謝している。
職無しの日記
今週のお題「575」
「無職とはなんだか寂しいものである」
3年勤めた会社を辞めた。次に何の当てもなく辞めた。
大学生の頃、人生の休息をしたいと思っていた。幼少期から義務教育、大学、就職と常に社会に接してきて、なんとなく疲れていた。学校はいつかは卒業しないといけない、卒業すれば社会に身を置かないといけない。そのために身を置く場所を確保しなければいけない。将来に向けて考える時、そのプレッシャーが付き纏った。少しは社会と接しない期間が欲しいと切実に思っていた。
紆余曲折したものの、ろくに就職活動もせず会社に入った。仕事は総合すると面白くはなかった。人間関係が良かったので続けられた。
何年か勤めれば見えてくるものがあるだろうと3年勤めたが今見ているもの以上に何も見えないことに気づき、辞めることにした。
辞める前は時間ができることに嬉しさを感じてあれもこれもしようとワクワクしていた。
実際に辞めてみると焦りや不安が襲ってきた。時間はあるのだが何もしないでいてもあっという間に過ぎ去っていく。何もしないでいると1日1日を無駄にしていっている気がしてならない。無論何もしていないわけなどないのだが、何もしていないように感じるのである。なんて恐ろしい。
薄々気づいていたが社会と接することは気分転換にもなっていた。ストレスに感じることも多くあるがそれと同時にガス抜きにもなっていた。
日々通えて日々会える人がいることは良いことである。一人を謳歌できる人もいるのだろうが、まだそこまでの器がない。
加えて一人暮らし。1日誰とも喋ることなく過ごすことなんてザラ。孤独との闘いだ。
そんな中でふと頭に浮かんできたのが、冒頭の句である。心も寂しければ環境もお金も寂しいことに無職になってから初めて気づくのだ。
果てやこの寂しさを噛み締めるだけである。
思い描いていた人生の休息とは程遠いが、これもある意味休息なのだろう。修行のような気もするが。
筋肉は今のところ振り向きもしない
筋肉は裏切らないと言うけれど、それは筋肉の為にそれ相応の時間を費やし甲斐甲斐しく尽くした結果であるのだとようやく気づいた。
ここ3ヶ月ほど、気が向いた時に近所のスーパーに買い物に行って帰ってくるくらいの時間だけ筋トレをしていたが、結果が伴わなかったので間違いない。
如何様にも結果を出したい。結果が全てではないというけれど筋トレに関しては結果が出ないことには何も生まれない。結果が出なかったあの数十分間のトレーニングはどこへ行くのだろう?
そんな疑問と共に、ネットを駆使しているとなるほど筋トレと有酸素運動を掛け合わせることで減量でき、体脂肪率も減るらしいという情報を得た。そこで筋トレ30分にウォーキングを取り入れることにした。
ウォーキングは苦にならなかった。草木と排気ガスの匂いが混じり合った混沌とした空気の中を呼吸しながら歩くのは心地よかった。
夜の公園は色々な人がいた。仲睦まじく歩く人、1人ベンチに座る人、楽器を演奏する人、ひたすら走り続ける人。そんな人たちを横目にみながら歩いていると、言いようの無い不安感だとか張り裂けそうな孤独感とかが少し薄れるような気がする。1人部屋で孤独にうだうだしているよりもマシというだけでもあるが。
そんなこんなで筋トレとウォーキングを続けている。
しかしやはり厄介なのが筋トレだ。はっきり言ってしまうとあまり好きでは無い。面倒くさいのだ。やれ立って腕を動かし、今度は寝転んで足をぐねぐね動かし、はたまた座って腹を捻る等々、動作が多い。一体いつまで体を動かせさせる気だと心の中で悪態をつきながらやっている。
筋トレが楽しくなる方法を見出したい。結果が出れば少し楽しくもなるのだろうが。11月まで続いているかが自分で実物である。
もう1つ悩みがある。なかなか時間がとれないことである。仕事を終えて帰ってくると21時ごろになる日もあり、そこからご飯を食べ、消化を待ち、運動をと思うとどんどん時間が後ろ倒しになっていく。夜ではなく朝すればいいではないかと思うが、堕落した人間なのでできない。これは仕事が悪いので転職しようと思っている。
今週のお題「運動不足」
家にいることでできること
このご時世により、家にいる時間も増えた。休日外出しようかしまいか夕方まで迷っている私にとっては外出しないという明確な理由ができ、大変喜ばしいことだ。
家にいることによって、音楽を聴く事が増えた。もともと音楽を聴くことは好きだったが最近流行りの月額で一定数の曲が聴き放題になるプランに登録してからより一層音楽を聴くようになった。
月曜日の朝、疲れた時、運動する時、1人で歩く時、それぞれにそれぞれの曲がある。
ストレートな歌詞も好きだが、それよりは難解な歌詞の方が好きだ。
自分の心情によってどうとでも捉えられるような。
それからギターを始めた。こちらも、もともとは中学の頃に始めたことがあるのだが、そのときは早々に挫折している。
今現在、再び挑戦しているがギターのギの字も分からないほどに悪戦苦闘している。YouTubeや本をみてヒーヒー言いながら練習している。まだまだ弾きたい曲を弾けるまでの道のりは長い。
そんな時にふと、ああ中学の頃諦めずにずっと今まで弾いていたら今よりはもっと上手く弾けたのになあと、ちょっと後悔した。
続けること、続けて努力することは簡単なようで難しい。だからこそ続ける意味がある。今少しでも練習を続けていればあと4年すれば好きな曲が弾けるようになっているかもしれない。でも何もしなければ4年経っても弾けない。
70代の友人(?)が定年になってから栄養士を目指して専門学校へ通い資格を取得したと言っていた。
やってみたいと思った時が始め時だし、何事も始めた時が1番早い時だ。
家にいる時でも少しでもできることをしたい。でもできない時もある。できない自分を認めつつ、できない自分を受け入れつつ、半歩ずつでも後退しつつでも進んでいくしかない。
今日はできかけの水膨れがあるのでギターの練習は休みますが。
四季がほしい通勤ルート
大学4年の時にミラーレス一眼を買って、それから2年経つけれども、紅葉の写真なんて撮ってたっけなと思って見返してみたら数枚あった。
去年の11月に嵐山に行った時のもの。
嵐山もそうだが、自然的なスポットに人が押し寄せているのを見ると本末転倒だと思う。
癒しを求めてそういうところに行くのだろうけれど、そういう癒しになるスポットを壊していったのは誰なんだと言いたくなる。まあ自分もその一員なのだが。
今年は紅葉を感じることなく秋が終わっていってしまった気がする。通勤ルートには秋がないというか自然がない。家と車と埃はある。
紅葉スポットを訪れるのもいいけれど、もっと身近で四季を感じられたらなと思う。
来年はそうなれますように。よろしくお願いします。
今週のお題「紅葉」
この街で生きる
産まれたのは地方の片田舎。山と川に囲まれ、コンビニもスーパーも車が無いと行けないような自然豊かなところで育った。
噂、噂。この街は噂話が好きだ。〇〇さん家の息子さんがどこの大学へ行っただとか、〇〇さん家の旦那さんは仕事を辞めて家でぷらぷらしているだとか、そういう話を周りで耳にすることが多かった。
勿論、自分が噂話のネタになることもある。子どもながらに周りの目を気にして少し窮屈な思いをしながら過ごしていた。
この環境は好きだけれど嫌いで、ずっとこの街を出て違う所に住む事を夢見ていた。
その夢が叶ったのは大学生になる時。県外の大学に進学を決めて、引っ越すことにした。念願の一人暮らしができることは嬉しかったし、何よりもこの街から離れられることが嬉しかった。自由への憧れが強かったため、初めての一人暮らし、初めて移り住む街に対して抵抗も不安もなく、ただただ嬉しかった。都会過ぎなければ特に住むところにこだわりは無かったので、なんの躊躇いもなく大学近くに引っ越すことを決めた。
初めてその街を訪れたのは大学進学が決まり、入学前のオリエンテーションへ行く時だった。母と一緒に、人混みにまみれながら初めて見る電車に乗り、ガタガタ揺られながら向かった。ビルが立ち並ぶ景色が少しずつ色を変えていく。ワクワクしながら電車の車窓を眺めたのを今でもはっきりと思い出せる。
だんだんと目的地に近づいているであろう景色を見ながら、私がこれから過ごす街はどんな街なのだろうと期待に胸をふくらませながら、建物ばかりは嫌だし、公園があってほしい、ジムも近くにあればいいなだとかあれこれあれこれ考えていた。その間にも電車は南へ南へと進んでいく。だんだん緑が深くなっていく。駅と駅を超えていき、たどり着いた終点の駅が私のこれから住む街だった。
初めて降り立つ街。私がこれから住む街。
大学近くの適当な学生マンションに引っ越し、生活を送り始めてすぐ私はその街が大好きになった。
そこには噂話も人の目も無かったし、かといって放任されすぎることもなかった。大学という社会的な居場所があり、そこに行けば友人や知り合いに会えた。学生の一人暮らしで、学生寮に住んでいたこともあって、大家さんが近くに住んでおり、時々顔を合わすと長い話に付き合わされた。何回も同じ話を聞かされたけれど、それはそれで良かった。
スーパーも近くにあれば、人の少ない落ち着いた広い公園も近くにある。ちょっと足を延ばして駅前に向かえば本屋、外国のちょっとおしゃれなお菓子屋やカフェ、ドラッグストアがあった。さらにさらにもう少し足を延ばせば、大型のショッピングモールもあってそれはそれは申し分なかった。
強いてこの街に求めるとすればTSUTAYA等のレンタル関係のお店が無いことと、カラオケ店が無いことぐらいだった。
この環境が心地良くて初めて自由を感じながら過ごした。amazarashiの『この街で生きてる』という歌があって、当時それを聴きながら家路によくついていた。悩みや孤独は大きかったけれど、生きている実感が湧いた。
やがて4年は過ぎ去り、就職が決まり、大学を卒業と同時にこの街から引っ越さねばならなくなった。
次にここを訪れるのはいつになるのだろう。行きたいと思えばいつでも行けるのだがこの街が帰る街ではなくなることにとてつもない寂しさを感じた。
そして私は今はまた別の街に住んでいる。そこは前よりちょっと都会の商店街が近くて、人情味溢れる下町だ。そこはそこで良さがあって良い。
けれどもけれども。
今でもあの街で過ごした日々を思うとちょっと感傷的なホームシックのような感覚に襲われる。
いつかまた帰る街に。
書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街
まさに光陰矢の如し
ブログを書きたいなと思うのだけれど、何を書いたらいいか分からず、1日1日が過ぎていく。時間が過ぎるのはとても早い。
年を重ねてからも、小学生の様に10分や20分あれば外に遊びに行くような時間感覚を持っている人はいるのだろうか。
テレビで芸能人が30代はあっという間に過ぎたと話していて、なんだか恐ろしくなる。時間は確かに平等に同じだけあるはずなのにどうしてこうも早く感じるようになるのか‥‥気になってネットで調べると、時間には心的時間というものがあり、つまりは私達の精神が時間の長さを決めているようである。また身体の代謝も関わりがあるそうで、代謝が落ちると時間が短く感じるようになるらしい。まあなんとなく子供と大人では時間の長さが確かに違うことが分かった。
それはそうとして、毎日毎日いたずらに時間を過ごしていていいのだろうか。そう考えながらも今日が終わっていく。
だらだら過ごしながら「なんとまあ無駄な時間を」と、思ってはいるもののなかなか行動が追いつかない。
これ以上時間を無駄にしないためには、時間を無駄にしてまった!と考えないようにする事だ。
だらだら過ごしたり、一日中寝てしまったり、ネットやゲームをして過ごしたり、こんなことをしてていいのかと葛藤しながらもだらだらしたり、、、これらの行動には何の意味もない。
意味はないけれど生きていくには必要だ。
それでいいじゃないか、と思いながら、今も時間が過ぎていっている。やっぱり少し焦る。