職無しの日記

今週のお題「575」

「無職とはなんだか寂しいものである」

3年勤めた会社を辞めた。次に何の当てもなく辞めた。

大学生の頃、人生の休息をしたいと思っていた。幼少期から義務教育、大学、就職と常に社会に接してきて、なんとなく疲れていた。学校はいつかは卒業しないといけない、卒業すれば社会に身を置かないといけない。そのために身を置く場所を確保しなければいけない。将来に向けて考える時、そのプレッシャーが付き纏った。少しは社会と接しない期間が欲しいと切実に思っていた。

紆余曲折したものの、ろくに就職活動もせず会社に入った。仕事は総合すると面白くはなかった。人間関係が良かったので続けられた。

何年か勤めれば見えてくるものがあるだろうと3年勤めたが今見ているもの以上に何も見えないことに気づき、辞めることにした。

辞める前は時間ができることに嬉しさを感じてあれもこれもしようとワクワクしていた。

実際に辞めてみると焦りや不安が襲ってきた。時間はあるのだが何もしないでいてもあっという間に過ぎ去っていく。何もしないでいると1日1日を無駄にしていっている気がしてならない。無論何もしていないわけなどないのだが、何もしていないように感じるのである。なんて恐ろしい。

薄々気づいていたが社会と接することは気分転換にもなっていた。ストレスに感じることも多くあるがそれと同時にガス抜きにもなっていた。

日々通えて日々会える人がいることは良いことである。一人を謳歌できる人もいるのだろうが、まだそこまでの器がない。

加えて一人暮らし。1日誰とも喋ることなく過ごすことなんてザラ。孤独との闘いだ。

そんな中でふと頭に浮かんできたのが、冒頭の句である。心も寂しければ環境もお金も寂しいことに無職になってから初めて気づくのだ。

果てやこの寂しさを噛み締めるだけである。

思い描いていた人生の休息とは程遠いが、これもある意味休息なのだろう。修行のような気もするが。

 

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