豚汁と肉まん

 

秋は1番好きな季節。どこかノスタルジーな雰囲気が散歩にはもってこい。それに加えて過ごしやすい気温ときている。考え事をしながら歩くのにはぴったりだ。

昨日4年間付き合っていた彼氏と別れた。

今まで自分のことをいつまでも決断できずにずるずると生きていく人間なのかと思っていたけれど意外とスパッときれるときはきれる人間だということを再発見した。

 

人生にはまだまだ自分の経験したことのない感情がある。昨日はそれなりにショックを受け、泣き腫らし泣き疲れて寝た。ショックを受けてもお腹は空くもので朝ご飯には肉まんを食べ、昼はサラダと唐揚げ、夜はチルドのピザを食べた。本当はピザはそんなに食べたくなかったのだけれど賞味期限が9月28日で、早く食べなければと思ったので食べた。食べ物は大切にしなければ。

 

人生には時として自分がそうしたいと思っていても決断し難い場面があると思う。私は本当は今晩は、ご飯と豚汁を食べたかったのだけれどもピザを腐らせたくなかったのでピザを食べた。これはピザのため?いや、ピザを腐らせたくない自分のため?どちらでもいいが、もしピザを無視してご飯と豚汁を食べていればピザは腐っていたかもしれない。(そんなことはないと思うが)そうすると私はピザを腐らせてしまった!食べ物を粗末にしてしまった!という罪悪感や後悔に襲われるだろう。

 

人間の感情はめんどくさい。無意識のうちに脳内で取捨選択して自分にとって最善の案を選んでいるように思う。私はご飯と豚汁を食べたいという自分の希望に逆らってピザを選んだ。これは偽の決断なのか?否そうではない。

 

明日は豚汁を食べる。

 

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跡取り娘

私は地方出身なのだが今は親元を離れ、他府県で暮らしている。

 

私は一人っ子で、跡取り娘として育てられた。両親にはずっと家を継いでほしいと言われていた。私の場合、家を継ぐということは家名を継ぐ・存続させることであり、同時に家やお墓を守ることである。

 

私は両親に小さい頃からずっと言われてきたこともあって、これが当たり前で誰しもが担う責任なのだと思っていた。

 

しかし、親元を離れ都市に住むと、家を継ぐことはメジャーではなく、むしろマイナーであることに気づいた。周りで家を継がなければならないなんて話している人は誰もいなかったし、家を継げと言われていると話すと家業を継ぐことなのかと聞かれ、あまり理解してもらえなかった。(この辺は地方と都会の違いがあるのかもしれないが。)

 

さらに男女平等と言われる時代ではあるものの、婿養子をもらうケースは確率的に低いことも知った。家やお墓の手入れ、ゆくゆくそれらをどうしていくのか考えねばならず、デメリットも多いことに気づいた。

 

そうなるともう家なんて継ぎたくなくなってくる。他の子たちはお嫁さんとして結婚できるのに、私は好きな人ができても、長男か一人っ子か気にし、婿養子にきてくれるのかと気にしなければならない、家やお墓の心配をしなければならないと、不満ばかりが募った。当時付き合っていた人が一人っ子という理由で親に反対されていたこともあって、家は継がないと反発した。

 

親は激怒した。私も譲らなかった。

 

そうして折り合いはつかない中、私は社会人になり、地元から離れたまま働き始めた。給料は低く、ほとんどが一人暮らしの生活費に飛んでいき、なかなか貯金はできなかった。会社はやりたくて入ったわけではなく、仕事にやりがいもなかなか感じられない。1年目にして早くも無理して一人暮らしをして働く必要があるのかと迷い始めていた。

 

そんな中、父親が倒れたと連絡が入った。命に別状はなかったが、高齢によるものだった。

 

父が倒れたことを聞いたときに、真っ先に考えたのはもし父が今亡くなったとして、自分が家のことを引き受けられるのか、ちゃんとやっていけるのかということだった。

 

それはごくごく自然に出た考えだった。今思えばとても意外だった。家を継ぐことが嫌で反発してきたが、どこかで家を継ぐことを受け入れている自分がいることを知った瞬間だった。

 

 

今、地元に帰るかどうかは正直迷っている。親のことは心配であるけれど、仕事も2年目に入り、任されることも多くなってやりがいも増えてきた。反発していた頃に付き合っていた人との関係もまだ続いており、相変わらず親には反対されている。

 

しかしどのような形になっても私は親と家のことを心のどこかで気にかけているんだろうなと思う。心の片隅であれ、気にかけていれば迷ったとしても決して何かを蔑ろにするような決断にはならないはずだ。と思い始めた今日この頃。

 

母が私の本を書いた

母親が私のことを書いた本を自費作成し、送ってきた。

読んでくれというので読んだ。その本には私が産まれた時から中学生までの様子が書かれている。

 

感想を求められたので、新鮮味がないと答えた。

 

母の欲しい言葉は分かっている。こんなに私のことを想ってくれてありがとうとか、苦労して育ててくれてありがとうとか、よかったとか、感動したとか、そういう言葉が欲しいのだろう。

 

分かっていたけれども、その言葉を与えることはできなかった。自分の中に抵抗があったのだ。

 

 

母はこの本を私のことを知っている親しい人何人かに送ったらしい。その母の本を読んだうちの一人から、娘さんは小さい頃から色んな複雑な思いに揉まれて生きてきたんですね。大変だったでしょうね。と言われたそうだ。

 

それに対して母は、他の子だったら病気とかになってしまうかもしれないけど、うちの娘はしっかりしているので大丈夫ですと答えたそうだ。大丈夫かどうかは私が判断することであって、母が判断することではない。

 

それに私のプライバシーのことなのだから勝手にいろいろな人に送られては困る。私が幼少期に仲が良かった子のお母さんにも送っていたのを知った時は流石に抗議した。

 

そもそも書いてくれとも頼んでいないのに、言い方は悪いが勝手に書き、書いている最中あたかも私のために書いてやったと言わんばかりの態度をとってくることがしんどかった。書いている最中も喧嘩をすると、せっかくあなたの本を書いているのに無意味だねと言ってくる。母の思いは分かるが、それは押し付けなのだと言いたかった。でもそう言うと母は傷付くし怒り出すだろう。

 

何はともあれ、私は母の本を読んで暗い気持ちになった。あまり思い出したくないことが多かったし、

だから新鮮味がないと答えざるを得なかったのだ。という言い訳をしておく。

 

 

母の欲しい言葉をかけることができなかった自分に罪悪感も抱く。

 

早速母からも

 

新鮮味がないって事は第二弾は書かなくていいってことだねやら、態度が横柄だとか、私の本を貶すのですっかり自信を無くしただのLINEが来ていた。

 

これに返答というか弁解していかないといけないと思うと憂鬱になってくる。

 

やっぱりお世辞でもよかったよとでも言っておけばよかったか。

 

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魔法の機械

 

昔、私の家には自営業をやっていたこともあって、タバコの自販機が2つと飲料の自販機が1つ置いてあった。

 

当然ながらタバコの自販機には一切興味が無かったが、子供の頃の私にとって飲料の自販機は魔法の機械で、それが自分の家にあるなんてもうそれはそれは夢のような心ときめく話だった。しかも自分の家に置いてある自販機なのだから、お金を入れてジュースを買っても、そのお金は自分の家に入ってくる。実質タダのようなものだ。なんて素敵なんだろうとわくわくしながらいつも自販機を眺めていた。

 

その中でも一際、私の胸をときめかせ踊らせる飲み物があった。それは「メロンクリームソーダ」だった。

 

メロンクリームソーダ、なんて贅沢な素敵な響きだろう。「メロン」「クリーム」「ソーダ」単語ひとつひとつとっても魅力的なのに、それを全てひとまとめにした飲み物が存在するなんて。

 

私は自分の家にある自販機に売っているメロンクリームソーダが飲みたくて飲みたくて仕方がなかった。しかしその頃、私の親はそんな体に悪いものを!と、市販のジュースを飲むことを許してくれなかった。ジュースといえば、手作りの八朔を絞って砂糖を入れたオレンジジュースもどきや、シロップにつけた梅を水で割った梅ジュースだった。

 

今思えば、それはそれで贅沢なのかもしれないが、当時はせっかくお金が戻ってくる自販機があるのに、飲み放題みたいなものなのに、どうして飲ましてくれないんだろうと憤慨していた記憶がある。

 

結局、その自販機でジュースを飲んだ記憶はない。

 

ただ今でも缶ジュースのメロンクリームソーダをみるとあの当時の特別にときめいた気持ちが蘇ってくる。

 

今週のお題「お気に入りの飲み物」

年度末の思い

 

早いもので、大学を卒業して1年。同時に社会人になって1年が経ちました。未だに自分が大人になったのか、なっていないのか分からないでいます。

 

4月から社会人2年目が始まります。社会人1年目は仕事に慣れることに必死で、得られたものは正直思い浮かばないくらい少ないです。

 

そう考えると自分の中で大学を卒業したことは大きかったなと思います。最初に社会人としてのスタートをきる、最後の学校生活の卒業だったので。

 

はやく社会人になりたいと思っている人もいると思いますが、私は学生のままでいたい、社会人になんてなりたくないと思っていました。

 

その思いを覆されるような企業に就職するなり、ニートになるなり、何かしら「社会人になりたくない」という思いを払拭するチャンスがあったのかもしれませんが、そのチャンスを掴めないまま1年が過ぎました。

 

卒業してたった1年、はやくも1年ですが、同級生の中には結婚した人もいれば子供が産まれた人も、転職した人も、仕事を辞めたいとぼやいている人も、そして亡くなった人もいます。みんなみんな変化していっています。

私も主観的には分からないけれど、客観的にみると変化しているのかもしれません。

それがポジティブな変化かネガティブな変化かは分かりませんが。

 

いつかまた何かから卒業できるように今年は何か変える1年にしたいと思っています。できればポジティブな変化が起きますように。

 

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今週のお題「卒業」

母と3万円

先日、私の一人暮らしの家に母親が来ていた。

当然の如く喧嘩になり、母は3泊4日滞在したのだが、結局最後の最後まで喧嘩をしたままだった。

 

母は激怒していて、私がいらないと言ったのにも関わらず、迷惑料とクリーニング代、宿泊代として3万円を置いていった。

 

 

その後、母からきたLINEをみるとそのお金は手切れ金で、それを受け取ったら親との手切れ契約が成立するから、受け取るのであれば受領書を送ってこいといった内容が書かれていた。

 

さらに、母は私に絶望しているのか、もう私は死んだもの生きると宣言していた。

 

母はいつもこうで、大体喧嘩になるのも母の精神状態が悪い時だ。そんな時に喧嘩になると、母は極端な行動をとる。

 

それにいちいち反応して言い返したりしていたらこちらの精神がもたないので、そういう時は母からの連絡は一切無視してやり過ごすことにしている。

 

時間とは不思議なもので、時間が経つと母はケロッとしていることが多い。その変わり様といったら別人のようだ。

 

案の定、数日後、電話をかけると母の機嫌はすっかり直っていた。

 

その際に、置いていった3万円をどうしたらいいか聞くと、お金に困ってるんでしょ、お小遣いとしてあげるよという。

 

私は手放しには喜べなかった。今はこう言っていても、後で返せと言われるかもと思った。が、その場では、いいの?ありがとうと言っておいた。

 

そうした事があったのち、自分の複数ある内の1つの銀行口座をみると3万円がおろされてあった。(その口座のキャッシュカードは私が持っているが、通帳は親が持っている)

 

それを見て、失望してしまった。これはおそらくあの3万円だ。

 

母親はちゃんと3万円分を私の口座から取り返していた。

 

それにも関わらず、電話ではあなたにあげるねと言っていた。

 

その心理が分からない。

 

また親が信用できなくなってしまった。

 

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ほろ苦いのバレンタインデー

 

中高生の頃、バレンタインデーといったら一大イベント。好きな人に贈ることはなかったけれど、毎年友チョコ作りに勤しんでいた。

 

せっかく作るのだから美味しいものがいいし、ラッピングも可愛いものが良い。スーパーと100均を巡り、トリュフや生チョコ等々作った覚えがある。今思えばよくやっていたなと思う。

 

そんな中学生の時に、生キャラメルを作ったことがあった。

 

生キャラメルを作るには材料を鍋の中に入れて煮詰めていかないといけないのだが、焦げつかないようにゆっくり混ぜながら煮詰めることがポイントだ。

 

その時は、家に木ベラがなかったので、100均でゴムベラを買った。そのゴムベラを使って混ぜることにした。

 

材料を入れて鍋を火にかけ、温まってきた頃合いを見計らって混ぜる。手が怠くなりそうだったがひたすらに混ぜた。

 

途中で、鍋の底が深くなったような感覚がしたが、特に疑問には思わず混ぜ続けた。

 

しばらく煮詰めていると、鍋に何か白いものが浮いていることに気づいた。チョコレートが分離しているのか?と思い、ゴムベラを鍋から引き上げると、ゴムベラの先が溶けてなくなっていた。

 

えっっっっ、、、、、

 

 

 

できたのはゴムベラ入りの生キャラメル。

 

とても食べられない。泣く泣く捨てた。もう100均のゴムベラで生キャラメルは作らない。

 

そんな中学生のバレンタインはよく覚えている。

 

因みに今年のバレンタインは誰にも作らないしあげずに終わりそうである。

 

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今週のお題「わたしとバレンタインデー」